癌と診断されると
主治医から今後の治療方針や治療スケジュールについて説明があります。
昔のように、本人には告知しないとか
そういうことはありません。
よほどの事情がない限りは
本人にきちんと説明があります。
まずは、標準的な治療をおこないます。
この癌で、このステージだったら、この治療
のようなガイドラインがあるのだと思います。
医療ドラマにでてくるような
超個性的な癖のあるようなお医者さまには
出会いませんでした、
むしろ患者さんのほうには
ドラマにでてくるような個性的な方は見かけました。
いまは、色んな情報はネットにあるので
わたしも色々調べましたが
主治医の説明に納得ができない
ということはありませんでした。
主治医がひとりで判断するわけでなく
チーム医療、みたいな感じであったろうと見受けられました。
気さくな先生
きちんとした真面目な先生
温厚で優しい先生
性格で色んな違いはあっても
患者を助けてあげようという基本的な姿勢は皆おなじ。
あとは、先生の性格の良さを引き出すような患者の態度が大事なんだなぁと思いました。
その点、
母は満点の患者だと思います。
途中で転院もしたし、先生が移動になったりで
結局
7人の主治医にお世話になりましたが
どの先生にも、素直に接して
仲良くなっていました。
標準治療の抗がん剤での治療に
最初に行き詰まったとき
→抗がん剤で健康な細胞が破壊されて起こる現象
重粒子線での治療を提案されました。
詳しくはこちら
保険適用される癌もありますし
個人的に高度先進医療適応の医療保険が使える場合もありますが、
母は適応外でした。
けれど、主治医からは
根治する可能性があるかもだから、どうですか?
といわれました。
効果があるなら、やってみようかと
紹介状を持って受診しましたが
母のお腹の状態が
その治療には危険もともなう旨をきいて
母が拒否しました。
日本では、
まずは、標準治療を選択し
それができない場合は
高度先進医療
あるいは、治験
そのようになっているのだとわかりました。
母の希望は
無理な治療を頑張ってするのではなく、
できるだけ今の生活を続けて
寿命がきたら、痛みをとるような治療だけをうけ、
静かに天国に行きたい
というものでした。
これは、今も一貫してかわらず
現在は緩和ケア病院に入院しています。
(この話は後日。)
母は2年目あたりから、
副作用も効果もゆるやかな抗がん剤に切り替えました。
2週間に一回
抗がん剤を投与していくことになりました。
白血球数が規定に満たないときだけ、一週間お休みすると言うパターンで
2年続けました。
癌が小さくなることはありませんでしたが、大きくなったり、転移したりはありませんでした。
計3年間
抗がん剤治療を続けられたのは
幸運だったといわれました。
この間
母の望みだった
住み慣れた街へ帰るというミッションと
孫と温泉に旅行に行くミッションを完了しました。
あとは、たまに帰省する孫やひ孫とふれあい、
いつもは
わたしと夫と三人で穏やかに暮らす
というストレスのない生活を送りました。
母は今が一番幸せだといいながら、
買い物したり料理を作ったりして
本当に楽しそうにのんびり暮らしていました。
続く。